本日のネタオチ (陳さんのWorld view)

まさに人生の極意アル

▼欲望と苦しみという問題の関係について

さっき事務員のねぇちゃんが熱いお茶を入れてきてくれて、あっ、あっちー!と手を滑らせておっことしてしまい、ズボンにかかってちょっとした火傷になってしまったのですが、それでインスピレーションが落ちてきたのですけれども、欲望と苦しみの関係も、同じなのではないかと。
どういうことか説明すると、灼熱の石炭を手で持てといわれたら、すぐに手放しますよね。熱いですから。
これを欲望という行為に対してはなぜしないのだろうか?と。
例えば新車が欲しい、ある株を買っていて、その株が上がって欲しい、あの女性とセックスしたい・・・日常生活を送っていると様々な欲望が頭に浮かんでくるものですが、それをその場で手放さないで継続化してしまうと、不況のせいで冬のボーナスが少ないから畜生!車の買い替えはまた延期だ、いつになったら私の株は上がるんだとイライラしますし、あの子はあの男と付き合っていると嫉妬心にかられます。
しかし、これらはいずれも、欲望の対象が存在しないことによって苦しみを生んでいるのでしょうか?
私は最近これは違うのではないかと悟りました。
欲望そのものが苦しみなのです。持てば火傷するぐらい熱いお茶なのです。
苦しみを逃れたいと思うなら、欲望の対象を手に入れられないと悩むことではないのです。欲望そのものを手放してしまうことです。
これは逆の方向から見たら明らかになります。
例えば、新車が欲しいと思って、新車を買った同僚を見ては嫉妬心にかられ、イライラして苦しんでいる人が、たまたま親からじゃあ150万円出してやろうとか言われて新車が手に入った。そうしたら、ものすごい喜びの感情がわきあがってきた。
しかし、これはよく見てみると、もともとあなたの真我の部分には喜びの感情しかなかったのに、欲望の苦しみがそれを邪魔していて喜びの感情で生きることができなくなっていただけなんですよね。
新車が手に入ったことによって、喜びの感情を邪魔していた欲望の感情が消滅した。そうしたら、喜びの感情だけが感じられるようになった、と。
しかし多くの人は、新車が喜びの感情を連れてきたと思っているわけです。
しかし、それが嘘だという証拠に、その新車が手に入ったにもかかわらず、まもなく新たな欲望が生じてきて苦しみしか感じられなくなるわけです。
例えば、隣に乗せてラブホに行く彼女がいない、とか。
ですから、苦しみを生み出す欲望というものは、手に握りしめている熱いお茶の湯のみと同じだと思うんですよ。飲めば乾きは癒されるどころか、手も唇も火傷してしまいますよ。
人生うまくいくのは、欲望というものを手放してしまったときですよ。
株なんてものも、上がれ上がれと思っているあいだは逆にいくものです。
その欲望を生み出している記憶を手放してしまったら、うまくいくものなのです。