例のフィリピン人一家の件

辛辣なコメントを書いてはいるが、のり子さんには、後ろにいる大人の出汁に使われている点で「同情」する。
父母を助けてほしいという思いは本物であろう。だが、発言内容は後ろの大人の入れ知恵の可能性が高い。

マスコミの矢面に立たされ、後ろの大人の言うがままに台詞を言わされているのは想像に難くない。
# 一部には嘘の発言もあるのではないか。例えば、日本語しか理解できないの話とか。

後ろにいる大人は、のり子さんの為に手助けしているわけではなく、別の意図があるのではないのか。
代理人である渡辺彰悟でググると面白いものが見えてくる。

しかし、考えてほしい。
彼女は、十三歳の多感な少女である。思考も意思もある。未来も夢もある。
十三歳の多感な時期に、後ろの大人に物事の善悪も判らず行動させら(操ら)れている。
情操教育上、どういった影響があるか考えるまでもない。
後ろの大人たちの行う「援助」では、真の意味で幸せになれないであろう。
後ろの大人たちは、そういうことも見据えて「援助」をしているのではなかろうか。

真摯に彼女の事を思うなら、
「あなたのお父さんとお母さんは、日本の法律を犯しました。罪を犯した者は、罰を受けなければなりません。私たちは、あなたの家族が母国で生活できるよう援助を約束します。また、あなたが、将来に於いて日本で勉強なり働きたいと考えるなら最大限のサポートを惜しみません」
と言うはずだし、その線で援助すべきだと、私は考える。

後ろの大人たちには、彼女とその家族の真の幸せとは何かを考えて援助してもらいたい。
自分たちの思想を広める手段としてではなく。